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北爪智媛

言葉と言葉で表現できない世界で悦び苦しみ早24年。
歌の世界なのか絵の世界なのか、極めたいのはどっちだ!と言われ選択を悩み中。つらい、、、

美術団体朔日会に所属、羽藤朔郎氏に師事。上野東京都美術館にて展示されます。

ヘルマン・ヘッセの『デミアン』主人公のデミアンに永遠の片想い。
なぜか懐かしい気持ちになるもの、
絵画ではカラヴァッジョ、ギュスターヴ・モロー、オディロイ・ルドン、シャガール、靉光『眼のある風景』、曾我蕭白、上村松園、伊藤若冲などなど。
フェデリコ・フェリーニ、リリアーナ・カヴァーニの映画が大好き。
日本文学では大江健三郎、井上ひさしが好きです。

憧れの歌手、マルタ・クヴィショヴァ様、いつかお会いしたい。

感謝してやまない人びと、
家族、学生時代の友人、京都の料亭のおかみさん、ジャズ喫茶映画館のマスターとおかみさん、バーあるたいのママ、葛原りょうさんと彼を通して知り合った人々、かけがえのない財産です。

好きな街やスポット、
谷根千や神保町、長野、八重山諸島、大山崎山荘美術館、ボローニャ、ソレント、ローマのボルゲーゼ公園

世界中を旅して回りたいそしてじっとしていたい
この気持ちはなんだろう。
僕はくしゃみした。

というのは、これくらいにして、最近思うことを綴ります。

最近になって変わったことは、たくさんあって。

頭ではわかってたけど、なんと言いましょうか、血でわかってきたといいましょうか。

日本は、戦争に敗けた国なんだってことを、血で理解しつつある。理屈ではない。

ボロボロな戦争をしでかして、原爆二つも落とされて、本当にぼろ雑巾だったんだな、ということが、よくわかってきた。
そんななかで、文化や芸術も命の瀬戸際のなかで、命のバトンを必死で繋いで。こんなところで生きていたのか!

幼稚園の頃、ホロコーストの資料館に親に連れられ観に行った。
子供ながらに、周囲の笑顔が信じられなくなった記憶がある。人間てここまで狂うの?と。
それからというもの、戦争と平和について、私は幼少の頃から敏感過ぎるほどに熟孝してきたつもりだった。
語ろうと思えばいくらでも語れたはずだが、最近うまく言葉にできない。
それはまだ自分の感情や机上のものでしかなく、私は恵まれた生活環境だったんだということがよくわかったからだ。
私は守られていたんだ。両親から、学校の先生から。

「こんなこと大抵の大人は教えてくれないよ。」のシャワーの連続。正直飽和状態だ。内容はここでは決して語れない。

いろんな人に出会わせていただいてきた。まだまだ出会うと思う。

私はまだなんにもわかっちゃいない。
ただ肌で感じているものは毎日ある。
そんな今日この頃である。

2015年7月の変化に最近は、歌いながら、散歩と料理と掃除洗濯と草花のスケッチと生け花と、しゃぼんシャボン玉を吹くことしかしていません。
こうした小さな幸せが、大きな平和につながる気がして。

FB,Tomoe Kitazumeでやっています。お気軽にメッセージくださいませ。



翠流

事務のお姉さん担当の翠流と申します。文鳥と鉱物をこよなく愛する社会人一年生です。
文鳥可愛いよ文鳥。
大学時代の専攻は言語学。数多くの言語に手を出した挙句、卒論では脳波を用いるというなかなか無節操なことをしていました。 知的好奇心は強めですが、飽きっぽいのが玉に瑕。

北爪とは高校時代、英語部で一緒に活動していました。彼女が部長で私が福部長。 同じクラスになったことはないけれど、彼女のおかげでとても密な時間を過ごすことができました。

ソコロベリーでは主に裏方的な仕事になるかとは思いますが、気が向いたら文章でも書くかもしれません。
皆で楽しくをモットーに活動していければと思います。




S.I

こんにちは、メンバーのS.Iです。大学2年生で、プログラミングを専攻しています。

私は様々な言語に触れることが好きで、各文化ごとの言語の違いや、それがどのように発展してきたかなどに興味があります。
私たちが今何気なく話している言語は文法規則の元に成り立っていますが、その規則は各言語全く違います。 しかし、異なる言語同士でも同じ概念を指す言葉が存在し、意思疎通をはかることができます。
これが言語の不思議な点かつ魅力であるので、追求していきたいと思っています。

北爪さんとは大学のサークルを通して知り合いました。 凄く後輩思いの良い先輩で、芸術面に関して鋭い感性を持っていてとても尊敬しています。
ソコロベリーでは主に裏方になると思いますが、どうぞよろしくお願いします。



かわ

こんにちは。
この度メンバーとして参加させていただく“かわ”と申します。
主に作品での参加...ということですが、遅筆&仕事がシーズンに入ってしまった為、そんなに頻繁には作品を上げることは出来ないかもしれませんが。

現在私は東京の女子大を卒業後一般企業に就職するも思うところがあり入社3ヶ月で退職しました。
現在は地元栃木県日光へ戻り世界遺産二社一寺から徒歩15分ほどの所にあるホテルでお客様案内係として働いています。
自然豊かでほのぼのとした良い環境の中、人と触れ合う楽しさや大変さ、面白さを感じています。
機会があれば、是非日光へいらしてください。

舞台が好きです。特にミュージカルは物心ついた時から好きで、卒業論文でも書いてしまうほど。
好きな言葉は、ハムレットの一節「演劇は、時代を映す鏡である。」です。
長くなってしまうので演劇・ミュージカルに関してはここまでで。
あとは文章を読むのも書くのも好きです。
好んで読むのは赤毛のアンや若草物語のようなものです。

画像は自宅のお庭に咲いていた黄水仙です。スッと咲いている姿が素敵です。
かなり長くなってしまいましたね... 文章がグダグダ長くなってしまうのが私の悪い癖です。
こんな私ですが楽しく皆さんと活動していければと思います。
よろしくお願いします。



皆川貴史

ども、はじめましてー。皆川貴史と申します。
大学卒業後、建設系会社の営業として1年半勤務も社内でぶっ倒れたのをきっかけに退職、少々のニート期間&親とも友達とも連絡を取らない暗黒時代を経た後、現在水上バスと上野動物園にて勤務中の25歳♂。
「会社を辞めても死ぬわけじゃない」「連絡を無視したら友達に怒られる」「人間、下には下がいる」など、日々多くのことを学んでおります。

大学時代の専攻は文化人類学。 「とにかく現場に行ってこい、クズども」という教授の素敵な号令のもと、泣きながら吉祥寺で100人に街頭インタビューしたりなどしておりました。

北爪家とは全体的に仲良くさせてもらってます。
智媛氏とは会社辞めた後の暗黒時代に久々に連絡が来て、なんとなく無視してたらさらに連絡が来て、それもなんとなく無視したら最終的には電話が来るという、なんというかもう逃げ場のないところまできて結局会い、なんとはなしにいまこんな関係です。はい。

文章読み書きするの大好き、映画音楽舞台と世の中興味をそそられるものばかり。
松尾スズキと椎名林檎について語れる人募集中。
こんなところで交わったのもなにかの縁。 楽しく大胆にいきましょう。よろしくお願いします。

ニート時代にディズニーシーに遊びに行ったときの画像です。胸に光るプーさんが皮肉にも象徴的な一枚です。




Victoriia Sokolova(guest)

Hello. My name is Viktoriia. I am 23 years old and study now in Technical University of Munich. But several years ago, 5 years to be more precisely, I spent one year (which I myself consider to be one of the best years of my life) in a wonderful “Land of the Rising Sun” called Japan.

When I first came to Tochigi (to Tochigi Girls High School) to meet with my future teachers, I was afraid that I will have problems with communication, since I didn’t know Japanese and was not sure whether pupils or teachers of my future school are able to speak English. However, I was lucky because when I entered the gates of the school, a girl, her name was Tomoe Kitazume, showed me the way and explained everything. Back then I didn’t know that exactly this person will become my guide, my teacher, my best friend, the most pleasant memory and always the first person that comes to my mind every time I think about my life in Japan.

It turned out that she was the head of the English club in Tochigi Girls High School and, moreover, she was at the same class with me. I had a seat next to her and during the English classes with Oshima-sensei we were able to make some funny comments and laugh at them together.

When I think about Tomoe, I always remember a very creative person. It seemed that her ideas were not constrained by anything. You know, when you think about something, you always imagine how you friends or your parents will accept the idea you have, and then you think: “No, probably this is the bad one, I better come up with something else”. That is what I called “constraints”. And Tomoe didn’t have them. The ideas that she shared with me were the craziest, most interesting and funny ideas I have ever heard. They were so full of life, full of passion and pure interest that you unwillingly got the feeling you want to follow this person and fulfill her ideas.

I clearly remember the summer festival, when every class got the task to decorate their own classroom. And it reminds me of the poster with, as she called it “sophisticated women”, that studied in our class. She has drawn the poster herself, and it was really funny. With a bit of sarcasm, but still absolutely adorable.

Or my stay in her house. I really liked that old, huge traditional Japanese house with so many interesting staff inside. I probably will never tell her, since I find it impolite to force the person to invite you in his or her house, but truth to be told, I was extremely happy every time I got an invitation from Tomoe´s mother. The night stay in Tomoe´s room, which was small but still very comfortable, or our talks about school life and our future trip to Kyoto… that is still so fresh in my mind.

All in all, the time I spent in Japan was very precious to me and the friendship with Tomoe is a part of it. I even think that without Tomoe my life would have been dull and boring. So, Tomoe, thank you very much that you exist in this world and I was truly a very lucky person to have a chance to meet you!


こんにちは。私の名前はヴィクトリア。ミュンヘン工科大学に通う23歳です。
数年前、正確には5年前のこと。私は人生の中でも最高の時間と言える1年間を“日出づる国”日本で過ごしました。

初めて栃木に来て、栃木女子高校に足を踏み入れたとき、私は不安で仕方ありませんでした。
日本語がわからないうえに、クラスメイトや先生たちが英語を話せるかどうかもわからなかったからです。
でも、私は幸運でした。 校舎の門をくぐると、北爪智媛という女の子が校内の道案内をしながらあらゆることを教えてくれたからです。
私はこのとき思ってもいませんでした。 この隣で案内してくれる女の子がこれから先ずっと私のお手本となって、先生となって、親友となって、そして私が日本で過ごした時間を回想するとき、必ず最初に現れる人となるだなんて、思ってもいなかったのです。
彼女が英語部の部長で、しかも私のクラスメイトだったということは、あとでわかりました。
私の席は彼女の隣で、大嶋先生の英語の授業ではお互いにくだらないことで笑いあうことができました。

私が智媛について考えるとき、いつも思い出すのは彼女がとても創造力にあふれた人だったということです。
彼女の発想は何かに縛られる、というところがありませんでした。
人は何かについて考え、意見を持つとき、いつも友達や親など周りの反応を気にして“こんなことは考えちゃいけない”と自分の意見を押し殺してしまうものです。 これが私の考える“何かに縛られる“ということです。
そして智媛にはこういうものがありませんでした。 彼女の発想はいつもぶっ飛んでいて、面白くて、それでいて興味深いものばかりでした。
それらの発想は人間の生命力や情熱、そして純粋な好奇心にあふれていて、それを聞いた人間は彼女の発想を実現しよう、という気持ちに不思議とさせられてしまうのです。

サマーフェスティバルでのことは今でも鮮明に思い出します。
各クラスで教室を飾り付けしたときのことです。
当時私たちが授業で勉強していたテーマである“洗練された女性”というタイトルのポスターが貼り出されました。
それは智媛の描いたポスターで、とても面白い作品でした。 それは少しの皮肉をこめられつつも、非常に可愛らしいポスターでした。

彼女の家に泊まったことも素敵な思い出です。
あの年季の入った、大きくて伝統的な日本家屋。そしてそこに住む魅力的な人たち。 あの家が私は大好きでした。
人の家に招待させることは失礼にあたると思ってこれは智媛には言わないでおいたのですが、正直なところ、智媛のお母さんからお家に招待される度、私はとても嬉しかったのです。
狭いけど居心地の良い智媛の部屋で、夜中じゅう私たちが話した学校での話、二人で練った京都旅行の計画…
そのどれもがいまでも鮮やかに蘇ってきます。

私が日本で過ごした時間はかけがえのないものとなりました。
智媛との友情もその大切な一部です。 もし智媛と出会わなかったら、私は退屈でつまらない人生を送っていたことでしょう。
だから智媛、この世界に存在してくれてありがとう! 私はあなたに出会うことのできた、かぎりなく幸運な人間の一人です。
(訳:皆川貴史)

栃木女子高校に国費留学生としてやってきた!
北爪智媛はチューター役に任されたが、まさかの意気投合!大親友になる。
帰国後も、国境を超えた友情は続く。来年の夏にヴェネチアで一緒にバカンスを過ごす予定を計画中。
帰国後、モスクワ国際関係大学に進学後、ミュンヘン工科大学に現在在学中。
17歳にして相対性理論について英語で語り始められるからどぎまぎしたのも、公園で白鳥ボートで歌いながら二人で漕いだのも、京都に弾丸旅行に行ったのも、何て言うか思う存分はっちゃけたのも、全部がいい思い出。
(文責:北爪)




奥主 榮   おくぬし えい (guest)

一九五九年 東京 中野に生まれる。
中学時代に、真似事のような詩を書き始め、今に至る。




みちる michiru (guest)

東京・吉祥寺駅前生まれ。詩人、作詞家。
2010年、谷川俊太郎らと詩を本の外にひらく「oblaat(オブラート)」を設立。
'11年、東日本大震災をきっかけに、短い詩を書き始め発表、テレビ・新聞などで紹介され評判となる(その後「10秒の詩」と命名)。
以降も「こころの復興」を合言葉に活動を広げ、合唱曲「ここは花の島」(谷川賢作・作曲)、トリ音CDアルバム「自分らしさを咲かせて」(みちる・作詞/トリ音・作曲)などを発表。
15年6月「10秒の詩-心の傷を治す本-」(絵・上村奈央)がポエムピースから刊行。
ウェブサイト「みちるのアトリエ」




加藤明日花 (guest)

23歳。医学を志し勉強中。

明日花はたまに考えました。
それで思うのです。

「好き」って”女の子”なのね。

こういうところに日本語、現代語だけじゃなくて、日本人の文化を
感じる。
それは全然変わってなくて、
カタワラで明日花は
好き(女と子)を平等にしたいと
思います。でも。

女子だけが「好き」なんでしょうか

女の子が好きな君は
女の子が好きなボクだとしても
好きでいられるでしょうか。

たまに女の子の中で君が
ひょっこりと顔を出して、
それがたとい本来の君じゃなかったとしても僕は君の事を好きなのです。
君が男の子の中心で
女の子をしていたとして
僕は君の事を好きなのです。
たぶんきっと
ずっとでしょう。
君と喧嘩して
君と離れ離れになったとき
僕は人並みな後悔をして
こぼれ落ちたとき
気が付くと
好きになっていました。
女の子の君が好きです。
君の中にある女の子が好きです。
たといおちんちんがあって
たといおまんこがびくびくしても
女の子の中にある女の子へ
男の子の中にある女の子へ
みんな君のこと忘れない
みんな大好きだ。
女の子は必ず人の心の中にあります。
とっても弱いです。
でも大好きです。
僕も僕の中にある女の子が
今とっても好きです。
君に女の子がいないなんて
きのせいだよ
みんなで女の子を守ろう。
みんなの女の子を守ろう。
ましてや女の僕
女の溝に男が食い込む僕
女の子を見せないように
していた僕を
僕はやめよう。
しないと僕は女の子に声を掛けたり
食事に誘ったり出来ないわけで
告白のとっかかりもつかめやしなかったら、
僕は1人の女性として
何の幸せがありましょうか。





会津 太郎 (guest)

私は61年前、福島県の会津美里町(旧会津高田町)に生まれました。そこは私にとってふるさとであり、特別の町でした。ところが2011年3月12日に福島の原子力発電所が水素爆発をしました。最初は会津地方にはあまり影響がないと思っていましたが、8月のお盆にお墓参りに帰ってみたら、親戚の子供たちが胸にガラスバッジをぶら下げながら遊んでいるのを目にして驚ろきました。外で遊ぶ時は、いつもガラスバッジを胸にぶら下げるよう、学校から指導されていたのです。子供達は無邪気に遊んでいましたが、そのガラスバッジの不自然さが私にはとても大きなショックでした。「無邪気な子供たちが、なんでこんなことをしなければいけないのか。俺のふるさとは、なんでこんなことになってしまったのか。」私は神奈川に戻ると、その怒りを自由な五行詩に書き始めました。 そして2012年1月から「My hometown,Fukushima」という題名のもとに、五行詩と散文を組み合わせた五行詩文を、英語で書き始めました。1か月ぐらいで英文を完成すると、次はフランス語に翻訳し始めました。そこでその英文と仏文をフェイスブックに発表してみたら、予想以上の好評を集め、20か国語に翻訳され、アメリカ人、フランス人、ドイツ人そしてオランダ人の読者から本にして出版することを薦められました。そして2013年1月から3月にかけて、ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガル各国の友人たちの協力を得て、七か国語による電子詩集「私の福島」をアマゾン・キンドルから出版しました。そして、2014年3月には日英仏語三か国語による詩集『わが福島』が完成しました。それはちょうどまる2年がかりの仕事でした。 今2015年は、私が書いた五行詩の集大成として『かけがえのない地球よ』を日英仏版で編集しているところです。
"Facebook: Taro Aizu"





えだ むつみ(guest)

国際協力研究科にて途上国の教育について勉強中。
学生しながら、熱気球のパイロットもしてます。
自分のことを話すのは苦手なので、この辺で勘弁してください。


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