まだ死ぬときじゃない
まだ死ぬときじゃない
東京の郊外で生まれ育ってきた
レンゲやスミレの咲いていた原っぱは
いつの間にか 都営住宅の建ち並ぶ街
水田の用水路は埋め立てられ
土管の積み上げられた道になっていた
メダカやフナの泳ぎ回っていた川は
コンクリートで固められたどぶ川に
そんな景色の中で育っていた
川を流れてくる空き瓶や
壊れたのか 無造作に放り込まれたテレビ
そんなものに石を投げては
誰が命中させることができるかを競った
工事現場やゴミ捨て場が
僕らの遊び場だった
日本中が貧乏で
東京の住宅街には悪臭が立ち込めていて
春から秋までは とんでもない数のハエが飛び交い
野犬の群れがあちこちをうろついて
つまらないことで子どもが死んだ
いつ 自分が死ぬ側になるのかってことと
隣り合わせの時代だった
生きていくことには
どうしようもない悔しさがつきまとうもんだと
その頃から思い知らされていた
大人たちだって どうしようにもならない人生を
歯がみしながら生きているんだってことが
何となく理解できた
もう 見かけることはなくなった
はみ出したおっさんやおばさんたち
ガキだったから笑いもした けれど
抱え込んでいるどうしようにもならないものを
みっともなく生きることで伝えてくれる気がした
そんな連中もいた時代だから
普通そうに生きている大人たちの苛立ちも分かった気がする
そんな連中もいた時代だから
ガキがあれこれやらかす不始末も
しょうがねぇことの中に入れてもらえた気がする
悪さして頭をこずかれたり
思いっきり叱り飛ばされたりもしたけれど
いつもどこかで信じていられた
生きていることは素敵だって
大人になるってことは今より
ずっと広い世界が見られることなんだって
生き続けることはとても辛いことで
嫌になって 逃げだしたくなること
思い出すのも嫌なことが山ほどあるから
その向こうに何かあるんだって
そう思いながら生きることにした
まだ死ぬときじゃない
人生はこれからだって
自分に言い聞かせながら生きてきた
このやるせなさのあちら側には
もっと広い風景が開けてくるのだと
そう信じていたから
一日いちにちを
積み重ねるように
人生を諦めてしまうことはいつでもできた
生きていくことには何もない
そんなふうに言ってしまうことは
いつだって簡単だった
でも なんとかこらえて生きてきた
どうしようにもない人生に思えても
これまで耐えてきた辛さを
無意味なものとは思いたくなかったから
まだ 死ぬときじゃないって
そう自分に言い聞かせながら
相変わらず寒い朝が訪れ
飽きもせずに北風が吹き荒れて
でも まだ死ぬときじゃない
僕らは生きてきた
あれこれ やりくりしながら
何とか乗り越えてきた
毎日毎日 繰り返される苦しさの中で
見えなくなってしまうものがある
同じように死にたい思いになっている人の姿や
冷たい水に足をすくわる辛さを味わっている人の姿が
いつの間にか見えなくなってしまうし
それが見えたからといって
慰めにも救いにもなりはしない
辛い思いに耐えて生きていける
そんな強い人の群れには入れない気がする
でも だからこそ まだ
まだ 死ぬときじゃない
このまま死んで もの笑いになることだって
恥ずかしくはないけれど
ただ しゃくなんだ
どうにもならないことばかりの人生で
負けてばかりのまま死んでいくことだ
まだ 死ぬときじゃない
生き延びていくことで これまでの
辛い人生を蹴り飛ばしてやるんだ
最後まで生きぬいていくことで
今までの自分を笑いのめしてやるんだ
それまでに どれだけ ぼろぼろになろうとも
二〇一四年 四月 五日 奥主榮